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イタリア旅行7

7.シエナ
3月26日から麻布十番での個展について

 ついにシエナへやってきた。今回の旅行のメインの一つである。
 この街の名はずっと前から知っていた、おそらく数十年になる、それというのも、絵の具の中にこの街の名がついた色があるのだ、それはバーント・シエナとロウ・シエナという色。実はつい最近までこれがこの街の色だとは知らなかった。
 つまりこの街の土を砕いて焼いたものが、バーント・シエナという色になる訳だ。今でもそうして作っているかどうかは知らないが、この街は確かにこの街はシエナ色に染まっていた、街中がほとんど同じ色なのである。私はこの色を確認するためにここへ、やってきたのだ。
 しかし来てみて驚いてしまった、街があまりに美しいのだ。ヨーロッパには中世の街がいろんなところに残っていて、それは旧市街と呼ばれ、新しい市街と区別されていることが多い、そしてその旧市街は大抵たいしたサイズではなく、歩いて1時間もあれば十分まわれる。ところがここシエナは昔からの大きな旧市街がそっくり残ってしまっている。中世の昔、このシエナがこんなに大きな街になったのにはもちろん理由がある。ここシエナは隣にあったフィレンツェと豊かな農園地帯トスカーナの覇権を巡って対抗するほどの都市だったのである。
 そして幸福なことにこのシエナは負けてしまったのである。幸福なことにというのはそのためにシエナの街の発展が止まってしまったのである。つまり、日本で言う過疎の町的現象が起こってしまった訳である、日本では木造のため、500年もの期間持ちこたえることはできないが、ここイタリアでは建物は石やレンガでできている。
 おかげで、こうして今訪れると当時のままの町並みが残っているということになる。自分の家の壁が500年前に作られたなんて、考えられるだろうか、その家で何人の子供が育ち、何人の人が死んだのだろう。

 ここシエナは街は素晴らしいのだが、芸術となるとあまり知られた作家がいない。かくいう私も、シエナ派の画家というものをほとんど知らなかった。時代的に言うとつまりはゴシックが終わりを告げルネッサンスの初期の芸術家たちの作品が多く残っている。
 一説にはこの頃十字軍により、西アジアや果ては中国の文化がもたらされ、ヨーロッパへと拡散していく中継点であったイタリアは、このとき未曾有の発展を遂げることとなり、同時に、そのような新知識によってルネッサンスが開花していく訳である。そのような大変興味深い時期ではあったが、この後訪れるルネッサンスの最盛期の作品に比べると、やはり見劣りがしてしまう。
 しかしそれでも私はこの街が大好きになってしまった。このシエナの有るトスカーナ地方はイタリアでも食の豊かなことで有名であり、車で10分走ればそこはもう本当に豊かな田園地であり、見渡す限り、オリーブの木、ブドウの木、そして小麦畑が続く。つまりそれがこの地方を代表する、食べ物なのだ。
 おいしい食べ物と、美しい街、その上さらに、このシエナはイタリアの中でも女性が美しい街とされているらしい。そう言う理由があれば、またこのシエナを訪れない訳にはいかないだろう。

3月26日から麻布十番での個展について
by nobuhaihara | 2008-03-18 05:33 | イタリア旅行
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